「松本人志【死んだら負け】理論」を、発言の背景から考えて私は負けた

うつとブログ

うつ病真っ只中のわたしが「【死んだら負け】理論」について考えたきっかけ

松本人志さんの該当ツイート

タイムラインでRTが流れてきて認識していましたが、それほど深く思考はしていませんでした。
「あー、芸能人が何か発言したのか。」くらいの程度です。

 

ところが、「【死んだら負け】理論」について深く考えるきっかけが訪れました。
そのきっかけとは、ほっしーさん(メンタルハック編集長)が該当ツイートについてブログ記事を発信されていたことです。

「死んだら負け」これは危険な発想だ | メンタルハック
松本人志さんが「死んだら負け」と言っていたので、うつ病になって「死んだら負け」だと思って苦しみまくった私が松本人志さんの考えを否定します。

記事タイトルは、『「死んだら負け」これは危険な発想だ』

ほっしーさんは、自殺自体は反対の立場とのことです。

一応断っておきますが、自殺自体は私も大反対ですよ。

 

「【死んだら負け】理論」を危険な発想とする理由としては、

自殺の可能性を残しておくことで、自殺が防げるかもしれない

 

自殺を防ぐことと、自殺を否定することは違う

と説明されています。

 

全体を通した主張として以下のように締めています。

社会全体として自殺を防ぐべき!ではあるけど、個人として「死んだら負け」と思うと、視野が狭くなってつらくなるよ。

 

 

この記事を読み、松本人志さんはなぜ「【死んだら負け】」ツイートを投稿したのか、私はその背景がとても気になりました。
そこでTwitterでの発言までの経緯を調べてみることに。

 

「死んだら負け」ツイートの背景にあったもの

2018年10月14日放送「ワイドショー」(フジテレビ系)に松本人志さんが出演したそうです。
そこで、愛媛県のご当地アイドルの自殺がテーマとして取り上げられていた。
このテーマに関する発言が話題になったことが事の発端のように感じました。

 

番組の内容については、しらべえの記事によくまとまっていたので引用します。

松本人志さんの自論

「自殺の話になった時に原因を突き止めたがる。でも正直言って、自殺の理由はひとつじゃない。いろんな複合的なことが重なって、許容範囲がコップを溢れた時にしてしまう。だから、自殺の明確な理由はないんですよ。だから遺書もないんです。原因を突き止めるのは不可能なんです」

 

「事務所が悪くないとは言えない。でも、我々が自殺者が出た時にニュースを扱う時に、なかなか亡くなった人を責めづらい。責められないよね。そうなんやけども、ついつい、かばってしまいがちになる。
でも、ぼくはやっぱり『死んだら負けなんや』ってことをね。もっとみんなが言わないと、死んだらみんなが変わってくれるって風潮が、ぼくは嫌なんですよ。勉強や授業でも『死んだら負けやぞ』ってもっと教えていくべきやとね」

 

石原良純が「真面目でいい子だから相談できず、松本さんの言うようにコップが溢れてしまったのかも」とコメントすると、松本は「相談していれば、コップの水が半分になることがある」と反応。

番組内での発言内容は騒動になっていたようです。

 

そこで世の中の反響に対して発言されたツイートが例のツイートです。

直接放送を見たわけではないので何とも言えないところがありますが、松本人志さんの主張に対しては理解して納得できる部分があるような気がします。

理解できること

  • 自殺の理由はひとつではない
  • 世間は自殺で亡くなった人をかばいがちな風潮がある
  • 死んだらみんなが変わってくれるという風潮がある

しかし理解できないことがあります。

 

死んだらみんなが変わってくれるという風潮がある

「死んだら負け」である

このように主張が繋がることに疑問があります。

 

つまり、他力本願な姿勢は負け、ということなのでしょうか。

 

仮に死んだらみんなが変わってくれるとして、そこに私は存在しない

自殺の理由はひとつではない、この意見には私も賛成します。

人間関係、世の中への不満、それによって生じる自己嫌悪、生きづらさ、言葉では言い表せない希死念慮に襲われたことは、私もあります。

今現在私が自殺をせずに生きている理由は、世の中に救いを求めているから、と表現したらいいでしょうか。

 

30年近く生きてきた中で、他人の思考や行動を変えるのは難しい、ということが少しずつわかってきました。

もし自分が死んだら、みんなは変わってくれるか。

人間関係は改善するか、世の中への不満は解消されるか、こう尋ねられると答えは否だと思います。

 

他人の意識が変わったとしても、

「あー、あの子自殺しちゃったんだ。どうやら私のせいらしい。」

改善できる可能性があった人間関係は、もう成立しません。私が死んでしまったから。

 

世の中へ不満を持っていた私も存在しません。つまり、不満という感情もこの世に存在しない。

みんなが変わっても、自殺したら私にとって意味を持たない。

ここまでは理解できました。

 

しかし、死んだらみんなが変わってくれる風潮があるという点については疑問が残ります。

変わっても、意味を持たないんです。

みんなが変わってくれるだろうという淡い期待、世の中へ救いを求める気持ちのようなものはなぜ生じるのか。

意味を持たないことになぜ期待をしたり救いを求めるのか。

 

こんなことを考えているうちに許容範囲がコップを溢れると、自殺をしてしまうのかもしれません。

 

他力本願な姿勢は負けなのか

自分ではどうしようもできないから、周りに助けを求めます。

もしも求めることが不可能な場合、ギリギリまで自分一人で我慢をするでしょう。

ギリギリを超えると自殺に至ります。

 

ここまで考えて、私は、松本人志さんに「お前は負けだ」と言われたような気持になりました。

負けかぁ。

勝とうとかいう気持ちもないけれど。

 

それでも世の中に救いを求めています。

精神科に通い、抗うつ薬で治療を続け、状況がよくなることを期待している。

他にも自分とこの世を繋ぎとめるものがいくつかあるので、生きています。

自分一人では無理です。

 

松本人志さんの主張が他力本願という意味なら、私は負けです。

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